傘がない

意外と雨の中を歩くのが好きな私です。
それは雨の日用のプレイリストを持っているので
それを聴きながら歩くのが楽しいのです。
  
雨の湿度、におい、音、粒を感じながら
雨の歌を聴いていると
いつもよりその歌が身に沁みてくるのです。
  
昨日はそんな中で井上陽水さんの「傘がない」が
流れていました。
  
その歌が発売されて、30〜40年くらい経っているのに
今起こっていることと、それを感じている自分にとても共鳴したのです。
  
ニュースでは砂漠の暑い国の残虐な事実が報道され、
欧米の経済、政治状況が報道され、
高齢化、少子化が進む我が国の行く末や虐待、死が報道され、
  
そういうことに
いちいちセンチメンタルになってる場合ではなく
自分は自分の身近な仕事や人を大事にしなくては、とか、
それが身勝手なことではないかと悩んだり。
  
コミュニケーション技術の進化は
世界中のあらゆる情報を
さまざまなメディアを通じて媒介させ
私たちは好むと好まざるとそれと付き合いながら
生きていかなければならないのです。
  
自分の近辺のミクロの世界から
俯瞰した全体情報のマクロの世界まで
グローバルなものから
ローカルなものまで
  
今でも十分に多感ですが
もし、自分がこの情報量の中で
もっと多感で、処理能力もなかった
学生時代だったらどうだったろうと考えたり、
それを考えると若者がけっこうなスルースキルを身につけているのも
仕方ないのかとも思ったり、
  
雨の中であれこれ思いを馳せます。
  
でもそんな中、次に流れてきた
いしだあゆみさんの歌う「シェルブールの雨傘」を聴くと
いろいろな意味であらゆることが馬鹿らしくなりました。
  
やっぱりこういう情報過多な時代だからこそ
そういうものをどうでも良いと思わせるような
エンターテイメントの存在というのは大切だなと思ったり。
  
雨のせいかしら、少しメローな私でした。
でも、今日から東京は晴れます。
早く春がこないかしら。
ふふふ。