格差に感じる女装

トマ・ピケティさんが最近流行っていますね。
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なんて式が出てきて、それを見るたびに
女装に置き換えて
「r(ルージュ)」の方が「g(グロス)」より、よく使う!
なんて思ってしまうのは、私が19年も女装を続けているせいでしょうか。
  
ピケティさんの理論は簡単にいうと
資産の収益率が経済の成長率を超える
ということで資産を持っている金持ちはどんどん金持ちになり、
格差はどんどん広がっていく。
それを是正する機会は教育による技能の習得であるが
その教育も資産格差が反映されている。
効果的に富の分配を行うには
富裕層への資産課税を強化して、租税回避地への税金逃れを
各国が連携して行うべきである。
  
というようなところを各国の納税データ等をもとに実証しているとのことです。
  
なるほど。
その考えは一理あるとも思いますが
それは昔の共産主義の時と同じく
性善説で、資産を持っている人、稼ぐ力のある人が
中間層や低所得の人々のためにお金を稼ぎ続ける
というのが前提となっているようにも思えます。
自分がお金持ちだったらできないかも。
   
ピケティ氏は本以外でも
講演などで、トリクルダウンは起こらず、
現状のままでは格差が広がり
共同体が崩壊するというようなことも言っているそうです。
  
ここについては全く意見が合いません。
トリクルダウンというのは
ただ待っていても起こらないのです。
  
富のかほりを
嗅覚を研ぎ澄ませて探し出し、
その人たちの消費、投資を促すように努力したのでしょうか。
たとえば日本が失われた20年とか言われていましたが
その間にもしっかりと稼いでいる人は必ず居て
そしてその人たち相手の商売でしっかり稼いでいた企業は沢山あるのです。
  
お金の有り無しが人の価値を決めるとは思っていませんが
無いことでブーブー言っている人は
その努力の場所と量を検証した方が良いのではないかと思います。
こういうの一般的にはマーケティングというのでしょうか。
  
お金のために媚びへつらうなんてやだ
という人もいるでしょうが
サービスや労力を提供しているから対等だと考える人は
自分の姿が昔の共産主義国家のデパート店員のような姿だと
鏡に映して知るべきです。
  
商いは顧客に尽くして、適正な利益を得てこそだと
私は考えています。
もちろん、顧客を選ぶ権利は売る側にもあります。
  
また媚びの売り方にも
品の有り無しがあり、相手に受け入れられる媚を売らないと
かえって遠ざけられます。
  
頭を下げることによって勉強になることが沢山あるから
世代間格差で若い人が貧しいというのは
正しいことのように私には感じるのです。
私もそうでしたし。
  
ただし子供が産めない、子育ての支援がないほどの貧困というのは
国家全体の問題だと思うので、
教育に関する援助は惜しむべきではないと思いますが
そうでなく若者が貧しいというのは普通のことだと思います。
  
そしてトリクルダウンが起こらないというのではなく
富裕層を対象にしたビジネスが未熟であること、
お金を使わせたり、引っ張り出すスキルが足りていないことを自覚し、
それをどうやったらできるかということを考えたほうがいいと思います。
  
そもそもそんな面倒なことをしなければ
お金が回ってこないなんて!
と思うかもしれませんが、
そういうことをして稼げるようになった方が
あとあと自分にとって力になると思うのですが
どうなんでしょうかね。
  
私が根性論で性悪でうるさいババアのような気もします。
だけど、多感な時期にソビエト崩壊とかを見てきたせいか、
基本的に社会主義的発想に疑いの目を向けてしまうのです。
あと、お金持ちってすごくシビアだよと思ってしまって。
経験上もそう思います。
でも甘くないからこそ面白い人も多い気がするのです。
  
やっぱり私、変態なんでしょうかね。