信仰と思考とミーハーな私とこの国

I will follow him.
  
なんて始まる聖歌がありますね。
  
I will follow you.
  
なんてサビの名曲がありますね。
  
信じることは美しいというのは
そうかなとも、たまに思うのですが、
何事も過ぎたるは及ばざるが如しで
信じ過ぎるのも、やっぱり考え物だなと私は思うのです。
  
先日私に天国と地獄で言い掛かりをつけた人は
私の身内なのですが
熱心な宗教家です。
  
私はその人を反面教師にして、
宗教というものはまったく受け入れられない体質になりました。
特に他の人の思考を弾圧し、説き伏せようとする宗教は。
  
その割にお寺や神社が好きというのは
どうやったら人々の信仰心をひきつけるのか
どうやったら神がいると信じられる環境をつくれるのか
という宗教側のアプローチに興味があるのです。
  
入り口から本体へのプレゼンテーションの内容、
構造物の建築様式や見事な庭園など、
お寺や神社のやり口を
文化としての面白いなと思って見に行っているのです。
  
日本の神社が特に好きなのは
もともと八百万の神があるのを前提に
縁起担ぎのために詣でにいくという、
好きなタレントやアイドルに会いに行くようなミーハーさがあるところです。
  
私もなんとなくその神話の世界の話が好きで、
キャラクターが好きだと会いに行ったりします。
特に女神が好きで
お伊勢さんなんかはシステムとして本当に巧妙にできているなと感心しますし、
キャラクター好きとしてはアメノウズメなんて面白いなと思って
けっこう、各地のアメノウズメが奉られている神社に行ったりしました。
金沢の白山ひめ神社にもよくお参りに行きます。
  
あと、神様というのもいるのですが、本体は山だったり、海だったり
自然崇拝の要素が強く、それを擬人化したものが多いので、
自然に対して畏敬の念を持つ私には信じ易く、愛し易いのです。
  
それに対して、人が始めた宗教というのは
その人の思想や考え方、生活習慣などがいいなと思って取り入れているので
宗教に熱心な人はその考えを編み出した人に恋をしている状態だと思うのです。
  
Yes , Fall in Love.

なんてコントの決め台詞みたいですが、
宗教にハマるというのは恋愛にハマるのと
同じ状態だということを、当事者には自覚して欲しいのです。
  
恋は盲目
  
という言葉がある通り、その人(信仰)にハマり過ぎると
周りが見えなくなり、その人の言葉しか聞こえなくなり、
その人がバラ色の未来がありますよと言うと
考えもなしに、周囲の人を無差別に殺すという恐ろしいこともできるのです。
  
奉教人はセクシーに見える
というのも、誰かの思想のために身も心も捧げるというのは
恋愛に身を捧げる人のように思えるからです。
  
それをわかった上でどっぷりハマってくれるのであれば
こちらも楽なのですが。
当事者はなかなか理解しておらず、
崇高なことをしているというように考え、
その人に近づいている自分も崇高なように錯覚し、
そうでない人を憐れんだり、仲間にしようとしたりするのです。
  
私は一皮向けば宗教家も大して変わらないと思っています。
宗教も大きくなれば派閥争いをするし、
自分の言うことを聞かない人に対する憎しみなどを持つなんて話を聞くと
大したことねえなーって思いながら見ています。
  
でも、大人なのでそのことをその人に言わないで
生暖かい目で見ていますが
自分に火の粉が降りかかる時は
私もピシャリと言う様にして、
そういって私の前から消えていった人たちが何人かいます。
  
でもわかるのです。
日常に規律やルールがあった方が
生き易いという人もたくさん居るし
誰もが誰も、自分で考えたいなんて思ってないんだということは
40年生きて、とてもそうだなと思うのです。
  
そう考えると日本人はだいぶマシだと思っています。
宗教に対してミーハーな割合が多く、
クリスマスやら初詣やらお盆やら
最近ではハロウィンなんていうのも遊びに加わりましたよね。
自分で考えて、常識で判断して、周りに優しく、
自分が楽しいと思ったことは取り入れていく。
  
だから、私は今のこの国の人たちが
とても好きで、こういうミーハーな傾向は守りたいな
なんて、
そう思ったりするのです。