それはただのInformationだから

私の甘酸っぱい過去として
あまり大きな声で言っていないのですが
落合信彦さんの著作物にはまった時期がありました。
 
あれは高校生から大学生1、2年の頃でしたでしょうか。
ミーハーな私は当時、アサヒスーパードライのCMに出ている
落合さんに憧れを抱きました。
国際ジャーナリストという肩書きも
その頃の私には斬新でしたし、文体もとても刺激的でした。
今思うと、父親の影響が薄かった私にとって、
一時は父性の対象、憧れの兄貴といった感じの存在でした。
 
落合さんに憧れて私は超タカ派雑誌のSAPIOの読者だったりもしましたし、
私の大学の学部選びも落合さんの影響を大いに受けたものだったのでした。
 
甘酸っぱいですね。
 
その後、その路線を突っ走っていたら
私も別の人生があったのかも知れません。
でもその目論見は私の生まれつきの怠惰な性格も原因ですが、
ある日突然、恐ろしくどうでも良い理由で崩れたのです。
 
それは初めて落合さんをテレビでお見かけした時でした。
本とCMの印象しか知らなかった私は
渋い声で話し方も男らしいのかしらと思っていたのですが
思いのほか声が高くて、ソフトなしゃべり方だったのです。
よく見ると背もこじんまりしていて。小柄で可愛い。
 
落合さんのアメリカ留学や石油ビジネス時代の武勇伝を読んで、
勝手に「漢」のイメージを持っていた私は、
当時大変ショックを受けました。
 
考えてみればこちらが勝手に妄想を抱いていただけで、
落合さんは何一つ悪いことをしていないのです。
なのに私はあまりに男らしくてカッコよくて、
渋いイメージを作っていたので
勝手に幻滅をして、勝手にファンをやめたのです。
 
今思えば私がいかに自分勝手だったかということですが
その時においた距離のおかげか、その後落合さんの作品は
距離を置いて客観的に読めるようになりました。
 
その後はなんとなく考え方の違いのようなものを感じて、
疎遠になった落合さんですが、
とても私によい影響を与えている考え方があります。
それは
情報にはInformationとIntelligenceがあり、
その二つは性質が異なり、Intelligenceにこそ価値がある。
それを取るために世界では必死の諜報活動が行われている。
 
Informationはただの情報で、
Intelligenceはその情報を分析し、背景や文脈を捉え、
判断をするまでに精選された情報。
 
情報社会といわれているけど、
日本はInformationとIntelligenceの違いを考えないまま
情報が氾濫している状態だなと思います。
そして、それに飲み込まれて、溺れて自分を見失っている人間が
私も含めて驚くほどいるのだなと。
 
判断をするのにinformationだけで判断してはいけない。
必ず背景、文脈、発言者の文字や言葉にならない意識や情熱、
それを少しでも汲み取る努力が必要だと。
 
決められない何とかという時代といわれていますが
皆、溢れる情報(Information)に胡坐をかいて
本当に必要な情報(Intelligence)を取る努力を怠っていないかと。
検索やtwitterSNSだけでは本当のことなんて何一つわからないのです。
 
昨日のような選択を迫られる際に、
私はついつい考えてしまうのです。。