開国

先日マツコさんと有吉さんの番組で
私が東京マラソンを走り切ったことについて
あれは何かに喧嘩を売っていたのではと言われていましたが、
確かにそうだなと思いました。
衣装も全身鮮烈な赤で勝負していましたしね。
  
2ヶ月くらい経って、よく考えると
あれは私にとって「開国」の一環だったのではないかと思うようになりました。
  
私はどちらかというと
人に何かをしてもらったら、何かを返すのが大変だからやめておこう。
家族にも理解してもらえないし、
だったら一人ぼっちで静かに過ごしたいと思って生きて来ました。
そのことによって、孤高の女装なんて揶揄されたこともありました。
人生を国でたとえると、「鎖国」をしていたのです。
  
でもだからこそ、独自の考えや視点、
ルールをじっくり考えることができたので、
今となっては良かったのだなと思います。
  
ただ、私はここ数年、少しずつ国を開いていました。
土曜日にお店に入ったり、マスメディアに取り上げてもらうというのも、
その一環でした。
  
何故、私は国を開いたのか、
それはこのまま一人ぼっちで何も変わらず
死んでしまうのではないかという恐怖からだと思います。
  
私は30代で相当体調が悪かったり、
精神的に不調な時期がありました。
私が後に「ご乱心期」と名付ける時代です。
  
そこで私は孤独の中で死を意識するようになりました。
死にたいとかそういうのではなく
いつか自分は弱って、確実に死ぬなと。
当たり前のことなのですが、若い時は元気だったから
能天気な私は死ということをあまり考えませんでした。
  
死を考えたとき、この世に生まれて考えてきたことや
思ってきたこと、伝えたかったことも、何も残らず、
孤立したまま終わってしまう、
私が居ても居なくても良かったことと同じになってしまう恐怖。
  
周りは家族を作り、子供を作り、友達がいて、
何かを伝え、私は孤独にひっそりと死んでいく。
  
別に派手に死ぬつもりはないのですが、
自分が考えていたこと、自分が本当は伝えたかったことを
腹に抱えたまま、死んでしまうのが漠然と怖かったのです。
ヒューマン!
  
それでこのブログを始め、
ちまちまと日常を書き、自分を伝えるトレーニングをして、
コミュニケーションを改め、舞台に呼んでもらえる機会を増やし、
お店に立ち、少しずつお客様とコミュニケーションをしてきました。
  
臆病な私はそうやって少しずつ開国していったのです。
  
そこで少しずつ積み重ねていった自信や学びから
40歳を迎えるにあたって、もう少し門戸を広げようかと思いました。
  
ラソンはある種、開国のための外交だったのです。
  
国は開いて交流するけど、ニューレディーなめんなよ!
という心意気だったのでしょうか。
  
私は外交というと歴史で習った
表面はにこやかな顔をして後ろ手で棍棒を握って話しているという風刺画を
すぐに思い浮かべます。
  
門戸を広げるということは良いことばかりでなく
悪いことや悪い人も沢山寄ってくるからです。
  
だから、多少、喧嘩腰で望むくらいが
ちょうどいいと思ったのです。
  
ニクヨちゃんカーニバルはその反動というか、
懐に入ってくれた方には親切にかわいく優しく接するという
ツンデレ方式と言えばよいのでしょうか。
  
門戸を広げて、伝えて
結局は何も残らないのは同じなのかもしれません。
人間の存在なんてちっぽけなものです。
特に凄い才能があるわけでもない私の存在なんて
何かを努力しても、何もないのと同じかもしれません。
  
だけど、私は伝えようとすること
共感したり、共感してもらったりしようとすること
できなくて課題を考えること、
その過程で人と触れ合って、いろいろな考え方に触れて
自分が変わること。
  
それがもしかしたら生きることなんじゃないかなと思い始めています。
  
そんな日々が続いていたら
その日が来ても、楽しかったで終われそうな気がするからです。
そうしたら、次の人生も良いスタートができそうだったからです。
  
最後はスピリチュアルめいてしまいました。
そんなちょっぴり不思議でセクシーでツンデレ
ニューレディー国ニクヨ姫
  
外交関係を結びたい方、
お待ちしております。
ふふふ。