センチメンタリズム

こんな時でも分析をしてしまう
鬼畜な私が居ます。
 
先日ある若手女装が亡くなったのですが
SNS時代、私はTwitterで第一報を知りました。
まずこの事象が感慨深いものと思いました。
時代というのでしょうか。
 
私は人が亡くなった場合、本当に枯れてしまっていて
「あぁ、先に行ったか」ということくらいしか
思わないようになってしまいました。
自分も必ず死ぬのに「かなしんでる場合か」というのが
常に頭を付きまとうのです。
次の旅に皆、出発するのです。
 
そして、私が死んだらということをとても考えます。
そういうシミュレーションをする機会だとも思っています。
「肉乃小路ニクヨ死んじゃったってww」
「女装ニクヨ孤独死だってww」
「好き放題生きた、なれの果て」
面白くないことでも名前自体が面白いので
バカバカしく思われるのではと思っています。
やくざな道を来たものだとちょっとおかしくもあります。
 
ドライフラワー状態の私の感情は例外で
皆さましっかりとセンチメンタリズムを表現されています。
それは人間としての自然な感情でとても勉強になります。
 
死に対して感傷的になることで
自分のストレスも発散させようとする人
例えは悪いですが悲しいDVDを見て泣いて
ストレスを発散しようとするのと
同じ現象だなと思いながら見ています。
 
人間の感情として正しいあり方で
健全な防御反応なのかと思います。
死というストレスを昇華させようとする人間本来の機能です。
 
かなしみの対処方法と言うのは人間性が出ます。
 
かなしんでいる自分アピールをされる人もいて、
わざわざSNSに書き込んだりしていて
あぁこれも一つのショウタイムなのだと思いました。
見ていて納得のショウもあれば、そうでもないショウもあったり。 

ひねくれてないで自分の感情に任せたらという意見もありますが
結局私のバイブルである映画「Wの悲劇」で言っていた通り
自分の中にもう一人の自分というのを持ってしまった私は
厄介だけどこうやって付き合っていくしかないのです。
 
でも、こんな頭でっかちな私からも一つだけ
全ての人に思うことがあります。
  
同じ時代に生まれてくれて、ありがとう。
 
バイバイ、伊達。