偏見を肯定する女装

偏見を無くしてほしい
という論調に同意できない私です。
  
偏見はその人のモノの見方の積層であり
それを無くせというのはその人の積み重ねてきた
すべてを無くせと言っているのと同じに思えるのです。
  
肝心なことは
偏見は仕方ないこととし、
自分の見方に偏りがあるかもしれないという客観性を持つこと
検証、修正を続ける必要があること、
法で決められた最低限の平等な扱いは守ること
を訴える方が良いと思うのです。
  
私だって偏見を持っています。
頭の悪い方は苦手ですし、
見かけだって好みはあります。
意地悪な顔の方も苦手ですし、
北国育ちと聞くと雪ばかりの中で育っているに違いないとか
南国育ちと聞くとのんびりしているという偏見も持っています。
  
でも、
例外や違うことも沢山あることを実際に生きていきながら
検証して修正するのです。
たとえば私が雪国に抱いていた、
寒いのにそこに住み続けるのは少し頭がおかしいという偏見は
実際に雪国に行き、その雪の恵みがもたらす
素晴らしい春夏秋を体験することによって変わりましたし、
そういう自分のモノの見方の間違いに気がついたり、
答えあわせをしたり、修正したりというのが
生きることの醍醐味のような気がするのです。
  
だから、私は年齢が上の人の話を昔からよく聞いていました。
面白い見方が多かったからです。
最近は下の世代の話もよく聞きます。
自分にはない視点があるからです。
  
それでも自分の好奇心や体験によってモノの見方は作られていくので
偏りは出るでしょう。
そんな中で、もし、相手のモノの見方を変えたいと願うなら
新しいモノの見方を持つと得をするよ、楽しいよということを発信して、
修正をするための土壌作りをすること、
気軽に見てもらい、再考の機会を持ってもらうことが大事になっていきます。
  
見て、触れて、感じて、体験することで
人の見方は変わっていくのです。
  
最近新宿二丁目が観光地化してつまらないという話も聞きます。
でも、この状況はどんなリベレーションの活動よりも
偏見を変えるチャンスを持っていると知るべきです。
そしてそのチャンスに関わることで自分の偏見も変わっていくのです。
  
同様のことは来日外国人の増加にも言えると思います。
来て、見て、触れて、感じてもらって、
日本の魅力を伝えていくのです。
  
隣の国とか、その隣の国と仲が良くないという状況もあるようですが
幸いにも?円が安いので、沢山の方に来て、見て、触れて、感じてもらって
そのような状況が少しでも変わればいいと思います。
  
モノの見方が固定化されることのバカバカしさ、
修正することの楽しさみたいなものが伝えられたら
きっとみんな変わるように思うのです。
    
甘いのかしら。ほほほ。