夏の終わりのハーモニー

共感ということについて
この前書きましたが、
やっぱり私、共感というのはあまり信用できません。
 
感じ方を強要されている気がするのです。
「うちらって素敵やな!なぁ?」
「これって楽しいよね!ね?」
 
あれれれれ、私、あんまりそう思ってないんですけど、、、
ということがけっこうあるのです。
私、意地が悪いので、ふふふ。
 
でも、共鳴という言葉は信じられる気がします。
それぞれに感じたことから、自分の記憶や経験を刺激し、
感情が発信されます。
鳴というのは鳴くということだけではなく、
感情の波の発露とでもいうのでしょうか、
私はそのように考えています。
 
私は共鳴できる何かができたら
幸せだなと思いました。
そして、その共鳴が美しいハーモニーになったら
それはもう最高に幸せだなと。
 
感じ方はいろいろでも、そこから発せられた
感情の発露に私は注目しています。
不協和音になったら、自分の出す音を変えてみる。
感じ方の幅、感情の発露の幅が増えていくと
いろいろな人とハーモニーが作れるようになる。
 
私が目指しているのはそういうことなんだなと
今日気がつきました。
井上陽水さんと玉置浩二さんの夏の終わりのハーモニーを聞きながら
自転車で夜風に吹かれ、
そんなことを思ったのでした。
 
みなさまとはどんなハーモニーを奏でられるのでしょうか?