揮発してゆくオイルのように

空気を読む
ということは最近とても大切なことのように思います。
  
KYという「空気読めない奴」という言葉がもてはやされた時に
その反論として、島国根性的だ!とか
日本人は周りに気を使い過ぎ、人の目を気にし過ぎ
なんて批判が繰り広げられました。
  
私は当時はそうかもしれないなと思っていましたが
なんとなく腑に落ちないところもあり、
仕事をしていく上で、人間関係を保つ上で
やっぱり空気を読むことは必要ではないかと思うようになったのです。
  
そして空気を読みあうのは日本だけでしょうか?
たとえば去年アメリカの大統領選挙などがありましたが
あれこそはまさに空気の読み合いの極致だったように思えます。
空気を読みながら発言する。そのことで獲得する票に影響が出る。
  
国に関係なく、空気を読むというのは
人間関係、信頼関係の基本のように思います。
  
ではなぜ目には見えない空気を読まなければいけないのでしょうか?
  
私が最近気が付いたことに
人の思い、感情は揮発性だということがあります。
  
嫌だなと思った感情、楽しいなと思った感情、
悲しいなと思った感情、苦しいなと思った感情、
嬉しいなと思った感情、ありがたいなと思った感情
  
心に起こったこと、頭で考えていることは
揮発して空気に溶け出すのです。
  
楽しいことを考える人達が集まる空間は
とてもいい空気を感じますし、
反対もしかりです。
  
だから、取り繕うのではなく考え方、感じ方から
変えていかなければいけないなと最近は思います。
  
私はお化けとか幽霊などはあまり感心がないのですが
生きている人間が出す空気は絶えず読み続けた方がいいと思います。
  
空気を読んだ上で
嫌な空気だったら空気に対する感度を下げる、
もしくは空気を変えるという行動を取れば良いのです。
  
空気を読まないで行動することは
身勝手、独り善がりなどの結果に繋がりやすいということは
年齢を重ねるにつれてわかるようになりました。
  
流行っている歌や共感の多い作品というのも
こうした時代の空気を的確に読み取って
その空気を言葉やメロディー、映像という形で
落とし込んでいるものが多いように思います。
  
いつもアンテナを張っておけと言われた先達の言葉の意味が
なんとなくわかるようになりました。
  
だから、私の前でもアンテナを立ててくださいね。
アンテナを隆起させて私の空気を感じてください。
アンテナフルボッキ。ふふふ。