ロンリーカナリー

先日のCampy! barオープニングパーティートークショーでも
話をしていて思ったのですが、
現在日本でおネエと呼ばれる人が活動しやすくなったこと、
中性的な人が増えていること、
ジェンダー(社会的な性)やセクシャリティ(生物学的な性)
があいまいな人が増えたこと、
そのことについて考える際、やっぱり避けて通れないところが
戦争と平和」であると思います。
 
人類の歴史で戦争が無かったことはありません。
戦争を行うために、男達は戦場に行き、女達は家庭を守り、
ジェンダーの超ベーシックな部分が形成されてきました。
 
むかし「去勢された人材」
http://d.hatena.ne.jp/nikuyo/20110712
という記事でお隣の国と日本の人材の違いについて書いたのですが、
「兵役」「戦争状態」があるかないかが大きいのです。
  
日本は第二次世界大戦後、戦争を放棄し、平和国家を目指してきました。
平和国家と経済的繁栄は女性の社会進出を大きく促し、
戦争の無い状態で経済を推し進めるのにジェンダーというのは
必然的にぼやけることになります。
なぜなら平和で経済的な繁栄を享受する時代に
性差というのはあまり重要視されないからです。
 
「平和」と「経済的繁栄」が両輪となって
ジェンダーレス化、セクシャリティのボーダレス化が進み
おネエといわれる人たちが以前より違和感無く活躍できるように
なったといえます。
 
それに加えて三つ目の要因として
コンプライアンス・人権重視の風潮」というものがあります。
セクシャルハラスメントを恐れる社会風土が出来上がったところに
その両方のセクシャリティにも当てはまらない
おネエといわれる人たちに、
代わりにモノを言わせるようになりました。
 
彼らは部外者で治外法権だという社会の認識、
よく考えたらヒドイ話なんですけどね。
でもそれをチャンスとして活躍しているのがおネエの現状だと思います。
 
おネエやオカマが消える日
それは「平和」の終わりであり、「経済的繁栄」の終わりであり、
「人権軽視」の時代でもあります。
私達は暗い坑道のカナリアのようなものです。
鳴かなくなったらヤバイ。
 
私たちもその点を大いに留意し、
社会生活を送っていかねばならないなと
ニューレディーとして思ったのでした。